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創価学会の池田大作名誉会長が老衰のため、95歳で亡くなりました。
著名な人ですが、うちのブログで取り扱うことはあまりなく、今年になって珍しく触れたのは、鈴木宗男氏の盟友で同じく親露派の評論家佐藤優氏が池田氏のウクライナ戦争に関する論評を持ち上げた時でした。
ロシアによるウクライナ侵略開始から1年(前編)。国連総会がロシア軍のウクライナの領土からの「即時、完全、無条件の撤退」を要求する決議案を準備しているのは当然だ。

以下引用すると、2023年2月8日の毎日新聞に、鈴木宗男氏の盟友で親露派の評論家佐藤優氏による
という小論が掲載されたのですが、中身は、最近創価学会へのおもねりが著しい佐藤氏による、創価学会の池田大作名誉会長が発表したとされる「ウクライナ危機と核問題に関する緊急提言『平和の回復へ歴史創造力の結集を』」の紹介だったのです。
佐藤氏は池田大作氏が書いたというこの論文について手放しでほめるのですが、その例として佐藤氏は
『この緊急提言で重要なのは、池田氏がこの戦争についてロシアによる侵略という表現を使っていないことだ。
停戦を実現することを現実的に考えるならば「お前たちは侵略国だ」と非難されている状況ではロシアが交渉の席に着く可能性がなくなるからだ。』
と言っています。
しかし、ロシア軍によるウクライナ侵略は誰が見ても侵略ですが、それを侵略と言おうが言うまいが、今やプーチン大統領が停戦協議に応じる可能性など全くないので、侵略という言葉を使わないのは意味がなく、ロシアの蛮行を曖昧化するだけでナンセンスです。
新書481 創価学会と平和主義 (朝日新書)
そして、池田大作氏が
『そこで私は、国連が今一度、仲介する形で、ロシアとウクライナをはじめ主要な関係国による外務大臣会合を早急に開催し、停戦の合意を図ることを強く呼びかけたい。
その上で、関係国を交えた首脳会合を行い、平和の回復に向けた本格的な協議を進めるべきではないでしょうか』
と言っている(とされている)ことを、佐藤氏は
「ウクライナ戦争を巡る西側連合の立場は一枚岩ではない。」
「池田氏の提言は実現可能性が十分あると筆者は考える。」
というのですが、国連総会の決議の内容を見れば、ロシアとウクライナまで参加した主要な関係国による外務大臣会合など夢のまた夢なのは明白です。
だいたい、一枚岩でない西側が、ロシアとウクライナを呼んでなぜか一堂に会することができるという池田氏や佐藤氏の主張自体が論理矛盾です。
佐藤氏は以上の著書からも明らかなように、近年、創価学会と公明党への「接近」を露骨に見せていたからこその池田論文への手放しでの礼賛でした。
これに対して、老いてなおますます舌鋒鋭い評論家の佐高信氏は「自民党と創価学会」という著書の中で池田大作氏をこのように批判しています。
『90年代前半、自民党は機関紙『自由新報』において、池田大作創価学会名誉会長による金銭・権力の掌握構造や、政教一致問題を焦点に徹底的な批判を展開した。
しかしそのわずか数年後には掌を返すように公明党と連立、「自公政権」は現在に至るまで続いている。
権力の座を死守するためなら、かつての政敵とも簡単に手を握る自民党。
政権与党に居座るためなら「平和・福祉の党」の看板を汚す公明党=創価学会。
この両党の親和性と癒着の構造を、膨大な資料、証言をもとに徹底追及する。』
自民党と創価学会 (集英社新書)
ところが、岸田文雄首相がこの池田大作氏の死に際して、内閣総理大臣としての公式アカウントで
「池田大作氏の御逝去の報に接し、深い悲しみにたえません。
池田氏は、国内外で、平和、文化、教育の推進などに尽力し、重要な役割を果たされ、歴史に大きな足跡を残されました。」
と投稿したため、また「宗教メガネ」などと呼ばれて大きな批判を受けています(ルッキズムの観点から問題だが)。
憲法20条1項3項などで規定される政教分離原則は、戦前の国家神道体制が戦争を可能にし、他宗教の信者や無宗教者を迫害したという経験から規定された原則です。
実は戦前の創価学会も国家神道体制の中で弾圧された経験から、公明党という政党を作り、自民党にすり寄って政権与党になったという経緯があります。
この政治が宗教と厳格に分離され、中立を保つことが政教分離原則の内容であるため、公明党と創価学会も一体ではなく別物だという「建付け」にはなっているわけです。
それを自民党のパートナーである公明党の母体だからと言って、岸田首相がこんなにまで池田氏を持ち上げたら、これは宗教的な中立性に反するということになります。
だって「幸福の科学」創設者の大川隆法総裁が死去しても黙殺したでしょうが。
創価学会は統一教会よりある意味はるかに重要だという私利私欲から、憲法上の原則もゆるがせにする岸田首相はどうしようもありません。
池田大作氏の御逝去の報に接し、深い悲しみにたえません。
— 岸田文雄 (@kishida230) November 18, 2023
池田氏は、国内外で、平和、文化、教育の推進などに尽力し、重要な役割を果たされ、歴史に大きな足跡を残されました。
ここに謹んで御冥福をお祈りするとともに、御遺族の方々および御関係の方々に対し衷心より哀悼の意を表します。
— 岸田文雄 (@kishida230) November 18, 2023
内閣総理大臣 岸田文雄
参考記事 kojitakenの日記さんより
「ついに池田大作が本当に死んだ。訃報に接してまず思ったのはそのことだ。」
この本を書いた佐高氏は佐藤優氏から名誉毀損で裁判を起こされている(末尾の佐高氏による解説参照)。
しかし、創価学会は「折伏」と言われる布教方法は何度も社会的な問題になり、統一教会問題で話題になったフランスの反セクト法でカルト団体のリストに入ったこともあります。
それなのに政権与党として公明党と協力している岸田首相のみならず、野党第一党の立憲民主党の泉健太代表までが池田大作氏の報に接して
「長年卓越した指導力を発揮し、日本の平和運動、福祉の推進、中国をはじめ世界各国との友好親善に力を尽くしてきた」
とのコメントを出しているのには頭が痛くなります。
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2023年11月18日 16:46 (2023年11月18日 19:24更新) 日本経済新聞
岸田文雄首相は18日、宗教法人創価学会名誉会長の池田大作氏の死去を受けて、自身のX(旧ツイッター)に「深い悲しみにたえない」と投稿した。「国内外で平和、文化、教育の推進などに尽力し、重要な役割を果たされ、歴史に大きな足跡を残した」とたたえた。
【関連記事】創価学会の池田大作名誉会長が死去、95歳 公明党を結成
「謹んでご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の方々およびご関係の方々に対し衷心より哀悼の意を表する」と記した。
自民党の茂木敏充幹事長はコメントで「国際平和の推進、文化、教育の振興などに大きく貢献した」と振り返った。
立憲民主党の泉健太代表は「長年卓越した指導力を発揮し、日本の平和運動、福祉の推進、中国をはじめ世界各国との友好親善に力を尽くしてきた」とのコメントを出した。
日本維新の会の馬場伸幸代表は「国内のみならず世界各国で平和の尊さを訴え、大きな功績を残した」と追悼した。
創価学会 池田大作名誉会長(95) 死去 政界から悼む声 公明党内には動揺も
TBSテレビ
2023年11月18日(土) 17:58
訃報です。創価学会の池田大作名誉会長が老衰のため、95歳で亡くなりました。創価学会は、「深い悲しみを抑えることができない」と談話を発表しました。
創価学会によりますと、池田大作氏は15日夜、老衰のため、東京・新宿区の居宅で亡くなりました。95歳でした。
池田氏は1928年生まれ、東京都出身で、19歳で創価学会に入会しました。1960年に第3代会長に就任すると、その後設立された公明党の支持母体のトップとして、国政に強い影響力を及ぼしました。
また池田氏は長年にわたり中国との交流に力を入れていて、2008年に当時の胡錦涛国家主席が来日した際も、30分間にわたり会談しました。
創価学会は午後、原田会長らの談話を発表し、「深い悲しみを抑えることができません」「ご冥福を衷心よりお祈り申し上げます」などと述べました。また葬儀は既に近親者だけで済ませ、来週、学会員を対象に「創価学会葬を執り行う」としています。
池田名誉会長の訃報を受け、岸田総理は、「深い悲しみにたえません。池田氏は、国内外で、平和、文化、教育の推進などに尽力し、重要な役割を果たされ、歴史に大きな足跡を残されました」と故人を悼みました。
また、立憲民主党の泉代表は「中国をはじめ世界各国との友好親善に力を尽くしてこられました」などと功績を称えています。
創価学会を支持母体とする公明党の関係者は「とてもショックで呆然としている」と話すなど、公明党内には動揺も広がっています。
一方、自民党内からは「公明党、創価学会の弱体化は避けられず、中長期的には自公の連立関係にも影響が出てくるだろう」との声も上がっています。
2021年07月号
〝辛口評論家〟佐高信の反論インタビュー
全文掲載【佐藤優vs.佐高信「名誉毀損バトル」】佐高信「言論人なら法廷でなく『言論』で戦え!」

佐高信氏
かつては共著を出版したことのある佐藤優氏から著作を巡り、名誉棄損で損害訴訟請求を起こされた佐高信氏。その心境はいかばかりだろうか? 緊急インタビューを申し込んだ――。
*
私は『佐藤優というタブー』(旬報社)で、佐藤優を徹底的に批判した。すると、佐藤は突然、私と版元を名誉毀損で訴えてきた。
届いた訴状には、佐藤は作家活動の他、大学講師や高校生の教育活動を行なっている、とあり、記述の9点について、佐藤の「作家としての名誉・信頼を傷つける」「人格を否定する」「作家としての尊厳を否定する」などと連ねられている。
そして、本書を読んだ佐藤の読者やら受講者とかが、この内容を信じると、「作家・言論人としての信用・社会的評価は失墜し、原告に対する反発は多大なものになると思われる」らしく、またその上、「このように一度貶められた名誉・人格を元に復することは困難」だから、損害として1000万円を払え、と言うのである。
正直、驚いた。そして、はっきりと分かった。佐藤という人物は、私が思っていたよりもはるかに小物であり、プライドがないのだ、と。
「言論人」ならば、その矜持をかけて言論で勝負するものだ。佐藤は様々な出版社と絡み、数多くの媒体で原稿を書いているのだから、いくらでも筆をもって私を批判し返せばいいはずだ。にもかかわらず、なんら表で反論せず、裁判所という司法権力にお助けを求めるとは言論人失格である。「言論で負けました」と自ら認めたに等しいだろう。
「比喩」を知らないのか
私は本書の中で、佐藤が2016年3月2日付の『東奥日報』掲載の電気事業連合会による「全面広告」へ出たことに関連し、「最低でも1000万円はもらっているだろうが」などと書いた。当初、佐藤から送られてきた内容証明郵便には、この根拠を示せとあったので、私は金額を訂正するにやぶさかではないから、では、いくら受け取ったのか開示せよ、と返答した。
すると、佐藤側はそれに一切答えず、訴状を送りつけてきたのである。訴状では「なんら根拠もない」などと宣っているが、私にはそう推測する根拠はある。
スポーツ文化評論家の玉木正之は、ブログ(『タマキのナンヤラカンヤラ』11年3月12日)で、原発の広報記事へ登場を依頼された時のギャラが、インタビュー記事1回で500万円だったと告白している。玉木によれば、言いたいことを言ってくださいと言われたのに、「原発は基本的につくらないほうがいい」という自分の主張と折り合いがつかず、結果として記事はボツになったという。福島原発事故の前ですら500万円なのだから、相場が膨れ上がっていても不思議ではない。
なお、私は16年の浜矩子との共著『大メディアの報道では絶対にわからない どアホノミクスの正体』(講談社+α新書)でも原発広告の問題を指摘している。
私は、佐藤には3つのタブーがあると書いた。人物で挙げれば、池田大作、鈴木宗男、竹中平蔵だ。佐藤が訴訟までして隠しておきたいのは、このことではないのか。
まず、佐藤が昨年に朝日新聞出版から出した『池田大作研究 世界宗教への道を追う』は、歯の浮くようなお世辞ばかりで、さながら創価学会の〝PR本〟である。学会員にとっては『人間革命』を再読させられているようなものだろう。18年に田原総一朗が書いた『創価学会』(毎日新聞出版)はまだ距離感があったが、佐藤の場合は〝べったり〟と言う他ない。訴状を見ると、私が「卑劣な学会擁護」と指摘したことが不満らしいが、最近も佐藤は公明党代表の山口那津男と『公明党 その真価を問う』(潮新書)なる共著を出している。
次に鈴木宗男だ。佐藤は鈴木が反自民になれば反自民になり、親自民になれば親自民に流れる。私が「手錠でつながれた逃亡犯のように、右に行くにも左に行くのも一緒に動かなければならない」と書いたら、訴状では「『手錠でつながれた逃亡犯』の指摘は、読者をして原告のありもしない姿を想像させる」として名誉毀損だと吠えてきた。比喩表現というものを知らないらしい。失笑である。
相手の話を静聴しない
そして竹中平蔵だが、佐藤は私との共著『世界と闘う「読書術」思想を鍛える1000冊』(集英社新書)で、竹中を最大限に持ち上げている。一方、マルクス経済学者の鎌倉孝夫も尊敬すると言って憚らない。私は、そんな佐藤に「打算を感じる」わけだが、訴状ではそれが誹謗中傷だと言う。マルクスと竹中が頭の中で同居するというのは私には〝分裂〟としか思えない。保守派のメディアでは『神皇正統記』や『太平記』を持ち出し、革新派の前では『資本論』を語る。こうした矛盾を「武器商人的狡猾さを知覚する」と表現したのだ。論評の範疇である。
博覧強記ではあるが、実際は受験勉強的な知識の蒐集であり、なんら思想的裏付けがない。そんな佐藤を、私は〝雑学クイズ王〟と評した。雑学のネタは余るほど持っている。このオタク気風の雑学ぶりに幻惑されてしまう人があまりにも多すぎるのである。
私と佐藤は、過去に2冊の対談本を著し、食事もする間柄だったが、あちらこちらで調子の良いこと言う様が目立ちすぎて、ある時から飯を食うのを止めた。佐藤は食事の時も大抵、一人で喋り、基本的に相手の話を静聴することはない。西部邁と対照的だと思った。西部は保守思想の論客として立場を真逆にしていたが、話はできた。それは互いに言論には言論で返すという流儀を尊重していたからだ。佐藤にはそれがないように見える。一方的に喋る特徴は、ある種の恐怖心の表れではないか。反論が怖いから無意識的に身構えているのだろう。批判に強いこと、あるいは批判を取り入れられることが、言論人の器量というものだ。
私が『噂の真相』誌上で猪瀬直樹を批判していたころ、猪瀬は周囲に「訴える」と吹聴していたらしいが、裁判になることはなかった。物書きのプライドが僅かでも残っていたのだろう。だから佐藤には失望した。かつて佐藤は猪瀬を「本物のニセモノ」と評したが、これでは猪瀬以下である。
言論による反論もなく、黙殺するでもなく、出し抜けに訴えてきた背景には、主要メディアを右から左までほぼ抑え尽くしているという意識もあるのだろう。
実際、某出版社では佐藤批判の原稿の収録を「佐藤さんの本を出すつもりがあるから」と断られたことがあった。佐藤優自身が出版界でタブーと化しているのだ。
だが、言いなりばかりで周囲を固め、批判を聞き入れなくなった人間の筆力は劣化の一途を辿り、次第に聖域は空虚となり果て、そして最後は〝自壊〟していく。
あらためて、「言論人であるなら、言論で戦え」と言いたい。(敬称略)
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