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こちらではお初にお目にかかります。弁護士・元ロースクール教授、宮武嶺の社会派リベラルブログです。

「福島原発事故から10年」前編 脱炭素社会実現は原発推進の大義名分にはならない。安全性でもコスト面でも再生可能エネルギーが上!


まだ原発を推進する菅政権は狂気の沙汰です。

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 地球温暖化を防ぐために炭素の排出量を減らすことが必要なことは、地球上に住む大多数の人間が認めるところ。

 だからこそ、京都議定書など国際社会は何度も地球温暖化対策の方法としてCO2の排出量を削減する合意をしてきました。

 しかし、そのために原発を利用するなどという合意は一回もなされたことはありません。

 なぜか。

 あまり言われていない議論ですが、原発は発言の時に石炭や石油を燃やすようには炭酸ガスを出しませんが、原発がセメントなど大変な量の建築資材を使うため、その建設のためには、火力発電所とは比較にならないほどCO2を排出することも挙げられます。

 しかし最も大きな理由の一つは、コストが高い。

1兆円超、作業員4000人 数字で見る福島第1原発廃炉作業―東日本大震災10年:時事ドットコム

 

 

 福島原発事故のために支払われた被害の総額をご存じですか?

 37兆円です(うち東京電力の負担の賠償金などだけで10兆円)。

 これらの費用は結局税金や電気料金として、私たちが負担しています。

これは事故処理にかかった費用のみ。経済的損失は実は計り知れない。

 

 

 しかも、事故から40年で最大80兆円、つまり今後30年間にさらに今まで以上の費用が掛かるという試算も出ています。

 その割には、原発事故からの避難者に対する対応が鈍いので、まさかコロナ対策の何十倍も税金を使ってきたとはだれも実感がないのですが、これは事実です。

 では、その財源は何か?

国の責任認める 福島第一原発事故の避難者訴訟で東京高裁判決:東京新聞 TOKYO Web

 

 それは2012年に施行された復興特別税で、法人税の割り増しは大企業優先の自公政権ですから打ち切られましたが、いまだに我々は所得税に自動的に復興特別所得税を上積みして払わされており、所得税の2・1%も毎年毎年支払わされています。

 しかも、この特別税、2036年まで、あと25年間延々と続くんですよ。

 一回事故を起こしたら損害賠償の面だけでもこれだけの負担を強いられるのが原子力発電所です。

 また、ご存じのように原発周辺の土地は永久に使えないものもたくさんあるし、無理して住民の帰還を促していますが、もちろん人口は減ったままです。

動画】無人の実家、奪われたままのふるさと 福島県大熊町・門馬さんの思い<あの日から・福島原発事故10年>:東京新聞 TOKYO Web

 

 

 福島周辺の農水産物への被害がそれ以外にもあります。

 このように金銭で評価できる損害が何十兆円もある上に、貴重な人命も失われています。

  もちろん、原発事故による避難で亡くなった方(関連死)の数は、福島県の7町村だけで人口の1%以上です。これは取り返しのつかない原発事故の損害です。

 今後も全国でまだ数十基もある原発でいつ同じような、いやそれ以上の事故が起こるかもしれないリスクなど、もう負えるわけがないし負うべきではありません。

震災関連死 認定率、市町村でばらつき 岩手の低さ際立つ | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS

年追うごと認定率減 原発事故関連死 統一基準求める声 | 福島民報

 

 菅総理が2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロにする「脱炭素宣言」に踏み切ったことを受け、与党自民党内ではさっそく原発の新増設や建て替えを求める動きが出ています。

 東京電力ホールディングス(HD)の小早川智明社長も、性懲りもなく同社の二酸化炭素(CO2)排出量の削減目標を達成するには、原発の再稼働が不可欠だと明言する始末です。

原発は安い」揺らぐ 訴訟リスク、核燃サイクル、廃炉、かさむ費用:中日新聞Web

 

 いま世界では1100億ドル(12兆円)もの脱炭素のための技術開発が行われていますが、これは日本の賠償金と違い、すべて経済効果もある上に、人類の未来を前進させる効果があります。

 エコカーなどを通じたCO2の「化石燃料の使用量削減」はもちろんのこと、ゼロエミッション石炭火力発電の開発やCO2の分離・回収といったCO2の分離と回収も研究されており、その分離した炭素ガスを地底や海底に貯蔵することも研究されています。

 再生可能エネルギーとしては太陽発電や風力発電が有名ですが、火山国日本の場合は地熱発電も非常に有力ですし、標高差が大きい日本では大規模なダムを造らないでも河川での発電が可能です。

 あまり知られていませんが、脱炭素ガスの有力な方法には人口光合成があるのですが、この分野では日本の技術は世界トップレベルです。

 

 菅政権は脱炭素社会の実現のために2兆円の財源を用意すると宣言しました。

 これは再生可能エネルギーなどの開発というような使い方によっては素晴らしいのですが、携帯電話の料金を下げることを政権の目玉商品にして、谷脇総務相審議官がNTTの超高額接待を何度も受けるという安直で発想が貧困な菅自公政権のことですから、この2兆円をまさかの原発再稼働のために使いかねません。

 世界中がおののき、ドイツや台湾などが脱原発に舵を切った福島原発事故を10年前にあれだけ目の当たりにして恐怖したはずの我々日本に暮らす人間が、また原発を推進するなど人類に対する犯罪です。

 あれからどれだけの放射性物質を地球中にまき散らしたか、想像を絶するほどです。

 福島原発事故で人類社会に多大な迷惑をかけた我々がやるべきことは、もちろん脱原発しかありえないのです。

先祖伝来の土地、被災者だますようなことはいけない」 地権者団体会長<あの日から・福島原発事故10年>:東京新聞 TOKYO Web

 

コロナワクチンが全世界の人々に貢献するがゆえに莫大な利益をもたらすように、原発社会になってしまっているこの世界で脱原発のための技術開発をすることは日本経済に大きく寄与します。

もちろん、国際社会が一丸となって脱炭素に取り組んでいる現在、日本の技術力を生かせる分野も多数あります。

経済優先というならばなおのことそういう生きたお金の使い方をするべきです。

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東京電力福島第1原発事故により避難を余儀なくされた福島県の7町村で、体調を崩すなどして亡くなる災害関連死と認定された人が、人口のそれぞれ1%以上に上ることが16日、共同通信の集計で分かった。東日本大震災発生時は無事だったのに、避難先を転々とするなど生活が一変したことで命を失った人が100人に1人以上の割合でいた形だ。長期化した避難の厳しさがあらためて浮き彫りになった。

 原発事故前に実施された2010年国勢調査の人口を基に、復興庁が昨年末に公表した昨年9月時点の関連死者数の比率を自治体ごとに計算した。

【共同通信】

 

東電、原発賠償額が10兆円超へ

避難の慰謝料、営業損害で

©一般社団法人共同通信社

消火活動を待つ東京電力福島第1原子力発電所。(右から)1、2、3、4号機の建屋=2011年3月17日午前9時14分、福島県大熊町の30キロ以上沖合で共同通信社ヘリから

 福島第1原発事故を起こした東京電力による賠償支払額の累計(除染費用を含む)が、2021年度にも10兆円を超える見通しになったことが27日、分かった。避難に伴う慰謝料や営業損害などに対する支払額は2月19日現在で9兆7028億円に上り、事故から10年が過ぎても増えるのは確実。巨額賠償は地域への影響や原発のコストの大きさを映し出している。

 一方、避難者らの集団訴訟が相次ぐなど、これまでの支払い対応が被害の実情に見合っていないとの声も多い。東電が「最後の1人まで賠償貫徹」とする公約を果たす時期は見えないままだ。

 

 

アスタミューゼ株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長 永井歩)は、自社のイノベーションキャピタルデータベースを活用し、世界の脱炭素関連技術について分析したレポートを公開いたしました。


■世界的な潮流、脱炭素
地球温暖化の原因となる温室効果ガスの排出を防ぐために、石油や石炭などの化石燃料への依存からの脱却を図る「脱炭素」社会への取り組みはより一層重要度を増しています。日本でも、菅義偉首相の就任後初めての所信表明演説において、2050年までに温室効果ガスの排出ゼロ化、すなわちカーボンニュートラル/脱炭素社会の実現を目指すといった目標が示されると共に、脱炭素のための技術支援に2兆円の基金創設を明言されるなど、国を挙げての脱炭素への取り組みが加速しています。
金融市場においても、ESG投資への資金流入が年々勢いを増しており、脱炭素への機運が高まる昨今においては、多くの企業にとって、自社の技術/事業を通じて脱炭素社会の実現にどのように貢献していくのかが、重要な経営イシューになっています。
アスタミューゼでは、脱炭素に関する各国政府の研究開発投資データを分析。1,100億ドルに上る研究技術テーマとそれぞれのテーマにおいて優位性のある国や研究機関を抽出しました。

■脱炭素社会の実現に向けた課題解決アプローチの全体像
しかしながら、一口に「脱炭素」と言っても、実現に向けた課題解決の方向性や具体的な技術は多岐に亘るため、自社の展開領域を検討する上では、まずはその全体像を俯瞰的に正しく把握することが必要です。
例えば、太陽光/地熱/核エネルギーといったCO2を排出しない「代替物の利用」や、エコカー/MaaS/シェアリングを通じたCO2の「化石燃料の使用量削減」はもちろんのこと、ゼロエミッション石炭火力発電/セメントキルン排ガスからのCO2の分離・回収といったCO2の「分離/回収/地下海底貯留」や、人工光合成によるCO2の「物質変換」もまた、脱炭素における重要な課題解決アプローチに位置付けられます。


上記のアプローチ全体像を基に、脱炭素関連の課題解決主要テーマにおける有望企業/大学研究機関を分析しました。「エネルギー分野における代替物の利用」「輸送・移動分野における化石燃料の使用量削減」「エネルギー分野における物質変換(※今回は人工光合成にフォーカス)」の3領域について、技術資産スコアに基づく企業/大学研究機関別技術資産スコア1)ランキングは下記の通りになっています。


これら領域における日本勢の技術競争力の高さが見て取れるかと思います。特に、「物質変換」の一つとしてランキングでフォーカスした人工光合成については、政府による研究課題への投資額に基づき一定の競争力があるのではないかとは既に述べた通りですが、個別企業/大学研究機関の技術競争力の観点からも同様の見方が出来るでしょう。

■水素・水素社会に付随する関連技術の国別研究開発投資額
また、当社では、日本が総じて競争優位性を発揮できる技術領域として、主に、再エネ・蓄電池/水素・水素社会に付随する技術/カーボンリサイクルがあると考察。例えば水素・水素社会に付随する技術について、一般的には、水素燃料電池自動車や家庭用水素燃料電池と水素ネットワークが挙げられますが、この2領域の研究開発投資情報を国別に見ると、日本については、家庭用水素燃料電池と水素ネットワークに関する研究課題に対して、比較的多くの資金を供与していると言えます。

■脱炭素関連技術の今後の展望
2020年11月、菅首相は主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)で、2050年までに温室効果ガスの排出量を実質ゼロとする目標を示しています。この、いわば「国際公約」を達成するためには、従前の排出削減にとどまらない取り組みが求められます。日本では省エネルギー技術が先行しているために、例えば「対GDP比の二酸化炭素排出量は少ない」といった先進性が語られていた時代もありました。しかしながら、温室効果ガスの排出量実質ゼロを達成するためには、”化石燃料の使用削減”では不十分で、二酸化炭素を全く排出しない”代替物の利用”をすすめる必要があります。
一方で、温室効果ガスのなかでもメタン、亜酸化窒素は、農業等に伴って排出される量が多く、大幅な削減は困難とされています。したがって、メタンや亜酸化窒素等の排出を、二酸化炭素の除去、すなわち“物質転換”でカバーしなくては、温室効果ガス排出量実質ゼロの達成は不可能です。ゼロに導くための必然的な帰結として、近い将来、人工光合成を始めとする“物質転換”の技術が注目されるものと展望されます。

 

 

「福島原発事故」10年後の今でも検証足りない訳

世界のどこにも起こりうる普遍的な挑戦

 
2011年3月11日の福島第一原発1号機のSBO(全交流電源喪失)から始まった事故と危機。危機に投げ込まれ、危機に取り組み、危機に克とうと試みた人々の戦いの記録とは?(写真は2016年2月、Toru Hanai/Pool via Bloomberg)
「日本は東日本を失うかもしれない」――戦後最大の危機から10年。日本の危機対応能力が抱える構造的問題とは何か。調査委員会理事長を務めた船橋洋一氏が、後年明らかになった新史料から、福島第一原発の「メルトダウン」を分刻みで描いた『フクシマ戦記 10年後の「カウントダウン・メルトダウン」』(上下巻)から一部を抜粋、再構成してお届けする。

フクシマはなお、終わっていない。

東京電力福島第一原子力発電所は、現時点でも、「原子力緊急事態宣言」が解除されていない。

福島県では事故発生から24時間以内の4回に及ぶ避難指示によって避難した住民(2012年5月のピーク時で16万4865人)のうち4万974人(県内1360人、県外33914人=2020年2月現在)がいまだに自宅に戻れない状態が続いている。

事故に起因する直接の被ばくによる死者はいなかったが、避難やその後のストレスによる災害関連死は3739人に上っている。

2011年3月14日から12月18日までの9カ月間、現場で事故処理に取り組んだ東京電力の約2万人の社員(緊急作業従事者)のうち累積被ばく線量が100ミリシーベルトを超えたものは174人に上った。中には被ばく線量が678ミリシーベルトに達した運転員もいた。政府は10月、彼らに対して長期にわたる健康管理に取り組むとの「指針」に基づき、甲状腺の検査やがん検診(胃、肺、大腸)を実施しているが、それでも人々はがんのリスクの高まりへの不安を抱えている。

プラントでは原子炉付近の放射線量が依然高く、原子炉内部の確認ができない状態にある。原子炉の炉心が溶解した結果生じた放射線量の高い「デブリ」のほとんどが原子炉格納容器底部にあると推測されている。その取り出しの技術と計画はなお確定していない。

福島第一原発では現在も一日約140トンの処理済み汚染水が発生している。このままでは保管用のタンクが2022年夏ごろには満杯になると予測されている。菅義偉政権は2020年10月、処理水を海洋に放出する方針を固めたが、海洋放出案に反対する漁業団体の全国組織「全国漁業協同組合連合会(全漁連)」と最終調整しなければならない。

事故前、日本には54基の原発が動いていたが、福島第一(6基)、第二(4基)をはじめ24基が廃炉となった。2020年9月末現在、再稼働が認められたのは申請のあった27基のうち9基にすぎない。

経済産業省の東京電力改革・1F問題委員会は2016年に公表した「東電改革提言(案)」のなかで、事故の損害額を22兆円と算出した。民間シンクタンクの日本経済研究センターは2019年、事故処理費用は40年間で最大80兆円まで膨らむとの試算を公表した。

フクシマはまだ、終わっていない。

しかし、フクシマが終わっていないことを最も象徴的に示しているのが、事故の対応と背景の検証が終わっていないことかもしれない。

2011年3月11日。地震に続く津波によって福島第一原発事故は起こった。

この事故と危機をもたらした原因は、政府事故調、民間事故調、国会事故調、東電事故調、そして学会事故調などの調査・検証作業によって相当程度、解明されている。

日本再建イニシアティブがプロデュースした福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)の調査・検証報告書は、以下のように分析している。

人災を起こした5つの構造的背景

事故は、1、2、3号機が次々とメルトダウンを起こし、4号機が火災を起こした「並行連鎖原災」であったが、その本質は人災であった。

そして、その人災の構造的背景としては、

①絶対安全神話の罠
②安全規制ガバナンスの不全
③安全規制のガラパゴス化
④「国策民営」化のあいまいさ
⑤国家的危機に当たっての危機管理とリーダーシップの欠如

を挙げることができる。

絶対安全神話とは、過酷事故に対する備えそのものが、住民の原子力に対する不安を引き起こすという倒錯した原子力安全文化観のことである。別の言い方をすれば、それは、リスクをタブー視する社会心理を上部構造とし、原子力発電を推進する原子力ムラの利害関心を下部構造とする信念体系である。日本の“原子力ムラ”も政治・行政も、その罠にはまっていた。

安全規制ガバナンスでは、経済産業省と文部科学省の二元的かつ縦割り的原子力行政、経産省・資源エネルギー庁傘下に置かれる原子力安全・保安院に典型的に示される規制官庁の推進官庁への従属、そして電力会社が規制官庁よりも強い政治力を持つ“原子力ムラ”の政治力学、などの問題をはらんでいた。

安全規制のガラパゴス化は、日本の安全規制は国際的基準に照らしてみても非常に優れているという思い込みと優越感の下、過酷事故対策の義務化や対原発テロ対策の国際協調に後ろ向きだった原子力安全規制の「一国安全主義」を指す。

国策民営化とは、政府が掲げる原子力平和利用推進の「国策」を、民間企業が原子力発電事業を「民営」で担う体制のことだが、この体制は、平時はともかく、原災危機においてはまったく機能しないことが露呈した。過酷事故が起こった場合の国の責任と、その際に対応する実行部隊の役割が法体系の中に明確に位置づけられてこなかった。線量上昇時の原発からの退避、撤退の判断のようにオンサイトとオフサイトの境界にまたがる難しい判断について、誰が、いつ、どのように判断するのか。それをあいまいにしてきた。

原発苛酷事故は必然的に国家的危機を招く。

福島原発事故が、日米同盟危機をも引き起こしたことは示唆的である。

日本は、そうした国家的危機にあたって、政府も企業も戦略と統治の両面でその質が問われ、そしてリーダーシップのあり方に深刻な疑問符がつけられた。

究極のところ、福島原発事故は、備えを怠ったために起こった人災だった。

それらの備えの中で、もっとも重要な備えはガバナンスであるはずだったが、それが不十分だった。

フクシマの悲劇は、効果的なガバナンスを欠いていたことにあった。

2012年9月、独立性の強い3条委員会である原子力規制委員会(田中俊一委員長)とその実行組織である原子力規制庁が発足した。

安全規制の決め方や進め方は、より独立し、より透明になった。

しかし、原子力規制委員会はあの“原子力ムラ”の住人によって占拠されていた原子力安全・保安院や旧科学技術庁とどこがどう違うのか、本当に違うのか、について国民はなお得心がいっていない。

たしかに、その後、各電力会社は、津波対策用の防潮堤を構築し、非常電源対策用に電源車を購入し、バッテリーを大量に貯蔵し、消防車を何台も買い揃えた。

ハード面は整ってもソフト面での備えは不十分

ただ、それらはいずれも目に付きやすい、いわばハードウェア面中心の備えである。

それに比べて、原発過酷事故の際に「最後の砦」となるべき実行部隊の編成、住民の避難計画、健康への影響、線量の管理などのソフトウェア面での備えは依然、不十分である。

例えば、事故の際の住民を放射線被ばくから守るためのリアルタイム被害予測システムであるSPEEDIは、福島原発事故後の住民避難の際、使われなかった。そこからどのような教訓を引き出すべきか、についてはいまだに議論が収斂していない。全国知事会が「有効に使うべきである」と提言したのを受けて政府は、「各自治体が自身の責任で用いることを妨げない」と決定。しかし、原子力規制委員会は「使えない。使ってはならない」との見解を示すなど、関係諸機関の間で共通認識はバラバラのままである。

おそらくソフトウェア面での備えでいまなおもっとも欠けているのは、想像力であるかもしれない。巨大津波にしても、大規模複合災害にしても、メルトダウンにしても、最悪のシナリオにしても、それらを「想定外」にしてしまった想像力の封じ込めがいかに致命的な結果をもたらしたことか。それこそが、福島原発事故で学んだ最大の教訓だったのではなかったのか。

しかし、このことは、日本人が、そして日本の社会が本来的に想像力を持っていないということではない。政治と行政が住民と国民に対して、安全と安全保障の面で起こりうる「想定外」の事態と可能性を常日頃から想定し、それに対する備え(preparedness、prevention、response)を用意し、そのことを国民に周知させ、国民の自覚を促すことをしてこなかったことに問題の根っこがある。

そしてそこには、リスク評価がリスク管理の「想定」を超えてしまい、経営的かつ政治的にストレスがかかりすぎる場合、リスク評価そのものを「想定内」に閉じ込めようとする経営・政治風土が横たわっている。リスク評価を厳しくすると、住民と国民に「不必要な不安と誤解」を与える恐れがあるとしてそうしたリスクを「想定外」に追いやるのである。民間事故調はそうした傾向を「小さな安心を優先させ、大きな安全を犠牲にする」と形容した。

福島原発事故後、日本は新たな安全規制体制を再構築し、「世界一厳しい」安全規制を実施するという旗頭を高々と掲げた。その意気込みは評価すべきだが、ややもするとことさら「世界一厳しい」姿勢を打ち出すことで、そして、そのための「宿題」を事業者に規範的に突きつけることで、心理的に国民に「安心」を与えて結果的に「安全」を殺ぐ新たな「安全神話」を再生産しつつあるかに見える。

ここで欠けているのは、例えば「許容レベル範囲」までのリスク低減を規制当局と事業者側で真剣な対話を通じて追求する協働作業であり、安全向上対策における費用(コスト)と便益(ベネフィット)の費用対効果分析であり、規制機関が事業者や地元自治体などのステークホールダーと相互理解や相互信頼を築くための自由で円滑な意思疎通である。

この事故と危機は、日本に特有の問題の表出ではない

福島原発事故以後、ドイツ、イタリア、台湾、韓国の4カ国が脱原発政策を打ち出したのをはじめ、世界の国々で、原発から再生エネルギーへとパラダイム・シフトの動きが始まった。その一方で、気候変動の脅威の下、化石燃料からの脱却とともに原子力を見直す動きも始まっている。原子炉の安全性を高める技術革新も進んでいる。

価格、安全、供給、安全保障、脱炭素をどのように位置づけエネルギーの供給体制をつくるのか。多くの原発プラントが廃炉ないしは操業中断に追い込まれる中、プルトニウムをため込む現在のバックエンド体制と核燃料サイクル政策をめぐっても国論は分裂し、結論の先送りを続けている。日本政府はフクシマ後のエネルギー政策と原発の位置づけに関する説得的な政策をいまだに示していない。

この事故と危機は、日本に特有の問題の表出ではない。日本の文化が諸悪の根源なのではない。

それは、原子力という取り扱いに失敗すると取り返しのつかない技術(Unforgiving Technology)を文明社会に組み込んだ世界のどこにでも起こりうる普遍的挑戦にほかならない。フクシマの真実と教訓は世界と共有すべきものであると私は信じている。

 

 

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