
中曽根康弘元首相が101歳で亡くなったそうです。
私はかつて
佐藤栄作 中曽根康弘 小泉純一郎 石原慎太郎 橋下徹 悪政無答責・逃げ切りの系譜を断とう

まず、中曽根さんは旧日本軍海軍将校として、「従軍慰安婦」の方たちを集める慰安所設置に関与していたことが立証されています。
中曽根元首相も関与した「慰安婦」強制を安倍総裁と橋下市長が否定すべく河野談話を破棄しようとしている






ほんとにひどい政治家でしたが、やはり亡くなった人を悪く言うのは後味がよくはないですね(笑)。
でもどうせマスコミが礼賛しまくっているのに違いないので、うちのブログらしく反旗を翻しておきます。
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毎日新聞2019年11月29日 18時31分(最終更新 11月29日 18時49分)

中曽根康弘元首相の語録は次の通り。(肩書や政党名は当時)
「日本の国際的地位は戦争に負けて以来、非常に低い。原子力によって水準を上げ、正当な地位を得るよう努力する」(1955年12月、衆院科学技術振興対策特別委員会)
「大衆は皆いい人ばかりだ。上に立つ者ほど悪い人が多い。特に政治家はいけない。そう思った私は政治を正すため政治家になった」(68年9月発行の著書「わが心の風土」)
「よく私は政界の風見鶏と言われる。しかし風見鶏ぐらい必要なものはない。足はちゃんと固定し、体は自由。風の方向が分からないで船を進めることはできない」(78年4月、札幌市で講演)
「行革ざんまいで他のことは考えず、それに徹して進んでいきたい」(82年4月、国会答弁)
「風に向かって走ろうという気持ちだ。とにかく業績を残したい」(82年11月、第1次中曽根内閣発足後)
「日本列島を不沈空母のように強力に防衛し、ソ連のバックファイアー爆撃機が侵入できないようにする」(83年1月、訪米時のワシントン・ポスト紙幹部との懇談)
「対中経済協力は戦争により大きな迷惑を掛けた反省の表れであり当然」(84年3月、胡耀邦中国共産党総書記と会談)
「サッチャー英首相らのように大統領的首相になって力強く政策を推進したい」(85年4月、旧制静岡高校同窓会)
「公式参拝は憲法に反しない範囲と判断した。国民の大多数は圧倒的に支持してくれると信じている」(85年8月、戦後の首相として初めて靖国神社を公式参拝した後)
「『戦後政治の総決算』は戦後40年間の成果を評価すると同時に、これまでの制度のひずみや欠陥を是正し、21世紀に備えるものだ」(86年1月、施政方針演説)
「日本は高学歴社会になっており、相当インテリジェントなソサエティーになってきている。米国などは黒人とかプエルトリコとかメキシカンとかが相当いて、平均点からみると非常にまだ低い」(86年9月、自民党全国研修会)
「私が内閣の責任者だった時期に不祥事を招き、おわび申し上げる。やましいことは一切していない。疑惑は一切ない」(89年5月、リクルート事件で国会証人喚問)
「政治基盤のねじれを直すために保守・中道の提携を言ってきたので、言葉に責任を持った。党よりも国益を優先させる政治信条だ」(94年7月、共同通信のインタビューで、首相指名選挙で村山富市氏に投票しなかった理由を問われ)
「(衆院比例代表転出という)“天の声”は必ずしも変な声ではなかったかもしれない、と思った」(96年7月、比例転出を受諾し会見)
「日本国民は自分で憲法をつくったことがない。全国民で憲法を論ずるようでなければ、真の民主国家ではない」(97年6月、議員在職50周年記念祝賀会でのあいさつ)
「日本は米国にカネを出し、駐留させ、番犬として使うことになるが、それが賢明だと思う」(97年10月、北海道小樽市などでの講演)
「(小渕恵三首相は)もともと独自の政策はあまりなくてある意味で『真空機関』だ」(98年12月、月刊誌「文芸春秋」に寄稿した自自連立を評価する論文)
「今の日本の状態を見ると、体がうずいて放っておけない。このままあの世にはいけない。もうしばらく働かせてほしい」(2001年5月、83歳の誕生パーティー)
「終身比例1位を早く返上した方がいいと思っている。大きな改革をやらざるを得ない段階がきた。小泉純一郎首相を中心にして、正しい政治を行えるように側面から支持して自民党を正しいものにできるようにする」(02年3月、自民党江藤・亀井派の総会)
「85歳になってまだやっているのかと言われる。マッカーサーは『老兵は死なず消え去るのみ』と言ったが『老兵は死なず消え去りもしない』だ」(03年5月、江藤・亀井派の総会)
「今回の人事のポイントは君だ。これで民・由合併の衝撃が吹き飛んだ」(03年9月、安倍晋三幹事長の就任あいさつに)
「突然来て、爆弾を投げるようなやり方は、総理、総裁としてとるべき態度ではない。政治的テロみたいなものだ」(03年10月、小泉首相の引退要請を受け記者会見)
「(ねじれ国会は)半身不随の状態であり、6年も9年も続くと国の前進を阻む。当面の課題は(自民、民主両党が)大連立を組むことだ」(07年10月、講演)
「石にかじりついても職責を尽くすものであり、気概が薄れている。首相がサラリーマン化した。日本の民主主義が弱まっている」(08年9月、テレビ番組で福田康夫首相の退陣表明について)
「事業仕分けや外交機密公開で新しい面を切り開いた功績はあるが、信念を通す強さがなかった」(10年6月、鳩山由紀夫首相の退陣表明で記者団に)
「約60年間で世の中は大きく変わったが、憲法だけが変わっていない。国民の責任ではなく怠けた政治の責任だ」(11年4月、超党派国会議員の会合)
「政治家は常に歴史法廷に立つ被告人との思いで精励努力を重ねてきた。与野党を問わず、真に国民参加となる憲法の実現を目指し、真剣に取り組むことを期待する」(18年5月27日、100歳の誕生日に合わせて出したコメント)(共同)
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