
(ぼくらの子供時代のドラマの熱血先生は決して生徒を殴らなかった。いまやGTOどころかROOKIESでさえ殴っちゃうからなあ。夏木陽介の「青春とはなんだ」も、竜雷太のこの「これが青春だ」もいまだに主題歌がそらで歌えます。戦後民主主義教育がまだ生きていたんですねえ)
大阪市立桜ノ宮高校でのバスケ部顧問の体罰により生徒の方が自死された痛ましい事件で、あらためて体罰の問題に焦点があてられています。
しつこいくらい体罰容認発言を繰り返してきた橋下大阪市長でさえ、やっと、
「顧問と生徒は絶対的な上下関係。周りの教員も、保護者も、生徒も何も言えない。そういう状況の中で厳しい指導を認めると、こういうことになってしまう。むしろ厳格に暴力は排除しなければいけない。そこに思いを至らすことが不十分だった」
と謝罪するに至りましたが、同氏は遺族に謝罪した直後に、スポーツ以外の教育現場に関して
「ギリギリの状況で手を上げねばならない状況だってあるかもしれない。歯止めがきくようにルール化したい」
とも語って、いまだ、体罰に執着しています。
体罰を容認してきた橋下市長のあるべき反省と謝罪のしかた 追伸あり
その上、一部報道では、橋下市長が未だ体罰の実態調査を開始もしていない段階で、いきなり、全市立高校への民間校長の採用という、火事場泥棒的な、あさっての方向を向いた対策を打ち出すに至ったという話もあります。もしそれが本当なら、普段、「現場主義」を盛んに言う同市長が、教育現場と言う最もデリケートで専門性の高い領域に、いきなりよそから一斉に現場を知らない教育のど素人校長を持ってくるなど、教育再生どころか教育解体というべきです。
さらに安倍政権もよりによって、体罰調査にヤンキー先生こと義家弘介政務官を大阪に派遣することにしました。
安倍自民党影の内閣に極右の稲田朋美法務大臣、ヤンキー先生義家弘介文部科学大臣とは野田内閣より劣化確定
そこで、体罰を口実に、このようなショックドクトリン的(惨事便乗型)教育「再生」を許さないためにも、体罰に対する誤解を解き、かつ、体罰対策を具体的に提言したいと思います
なお、ここでは学校における教職員の生徒・児童に対する身体的な処罰を体罰と呼びます。

(今調べたら、この「青春とはなんだ」は私が3歳の時の作品。よく覚えてるよなあ~~)
体罰に対する誤解1 許される体罰と許されない体罰がある
およそ許される体罰と言うものはありません。
学校教育法(昭和22年法律第26号)の第11条において、校長および教員は、懲戒として体罰を加えることはできないとさだめています。
第十一条 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。
この規定に対する刑事罰は同法に規定されていませんが、体罰は刑法上の暴行罪や傷害罪(生徒が死亡した場合は殺人罪や傷害致死罪)となります。
この許される懲戒権の行使と区別される、許されない体罰の定義について法務省はこう通達しています。
学校教育法第 11 条にいう「体罰」とは,懲戒の内容が身体的性質のものである場合を意味する。すなわち①身体に対する侵害を内容とする懲戒-なぐる・けるの 類-がこれに該当することはいうまでもないが,さらに,②被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒もまたこれに該当する。たとえば端坐・直立等,特定の姿勢を長時間にわたって保持させるというような懲戒は体罰の一種と解せられなければならない(『児童懲戒権の限界について』)。
体罰に対する誤解2 体罰が禁止されるようになったのは戸塚ヨットスクール事件があった以降である。
日本では、明治維新からわずか11年後に発布された教育令(1879年〔明治12年〕)には、体罰禁止規定がすでに制定されていました。さらに勅令である第2次「小学校令」(明治23年勅令第215号)から一貫して体罰禁止規定が規定され、それが第二次世界大戦後には、法律である学校教育法(昭和22年法律第26号)に規定が引き継がれたのです。
戸塚ヨットスクール事件とは、1976年に戸塚宏が開校し、不登校児などの脳幹を鍛えて「矯正」すると称した同校で、訓練生が次々と訓練中に死亡し、同人ら「指導者」が1983年に傷害致死罪で有罪となった事件です。なお、日本維新の会代表の石原慎太郎氏は同人を重用していることで知られています。
渡邊美樹ワタミ会長の「どの口で言う」いじめ対策が「教師には成果主義、学校には競争原理」 お前が言うな
同事件は確かに衝撃的な事件ですが、1私塾におけるリンチ事件でした。この事件のはるか昔から日本では体罰は違法だったのです。
日本で体罰が肯定されるようになったのは、戦争をするためです。学校に軍事教練が取り入れられ、学校のあり方が何もかも軍隊方式になってしまったことの、悪しき名残が体罰肯定論なのです。
体罰に対する誤解3 言葉の暴力が罰せられていないのに、身体的暴力だけを一律に罰するべきではない。
まず、論理的に言って、教師のひどい言葉の中に罰せられるべきものがあるからと言って、暴力を免罪する理由にはならないことを銘記すべきです。暴力は違法であり許されず、さらに教師の言葉も酷すぎれば罰せられるという単純な話です。
また、教師の生徒に対する言辞も、社会通念上許されない程度になれば、民事上違法になり、さらに刑事罰をくわえられます。
たとえば、生徒に対する害悪を告知すれば脅迫罪(「殺すぞ」、「痛めつけるぞ」、「俺に逆らえば学校をやめさせるぞ」などなど)。生徒に義務のないことを無理やらせれば強要罪(「私の車を磨いておけ」、「靴をなめろ」、「裸になれ」などなど)。侮辱すれば侮辱罪、不特定または多数の人に知られる状態で生徒の社会的評価が下がるようなことを言えば名誉棄損罪。
もちろん、教師が生徒を脅して物やお金を巻き上げたら恐喝罪や強盗罪になります。これらの罪は暴力を使う犯罪だと思われていますが、言葉で極度に畏怖させても成立します。
もちろん、社会通念上許されない程度に達していることが前提ですが、手を出さなければ許されるというものでないことは、一般社会でも、教師と生徒の間でも同じことです。

(この夏木陽介から竜雷太のあと、「飛び出せ!青春」の村野武範、「われら青春」の中村雅俊へ。むしろ、「熱中時代」の水谷豊が演じた北野広大先生が良かったです。しっかし、熱血教師物が好きだったんだなあ、わたくし。田原俊彦の「教師びんびん物語」も熱心に見てました。なぜか「金八先生はだめだった。熱血先生は見栄えも良くないとダメ!?)
体罰に対する誤解4 体罰を認めないと教師は生徒の暴力から身を守れない。
これもためにする議論です。
たとえば、生徒が教師に殴りかかってきたときに、教師が身を守るために生徒を殴ったとします。この場合、教師のやった行為は形式的には暴行罪の構成要件に該当しますが、実質的には正当防衛となり、違法性が阻却され(なくなり)、犯罪は成立しません。
一般社会と全く同じで、違法な行為とはならないのです。また、生徒が別の生徒を殴ろうとするのを止めるために暴力を振るっても正当防衛です。正当防衛は第三者の権利を守るためにも成立するからです。ですから、生徒がある教師を殴ろうとしているのを別の教師が生徒を殴って止めても正当防衛になり、違法性はなく、処罰されません。
そもそも、生徒が暴力など犯罪行為をしようとしているのを止める行為は体罰と呼ばないでしょう。現に刑法上もそれは「違法性阻却事由」として、犯罪が成立しないものとして扱われているのです。
このような場面をわざわざ取り上げて、体罰が必要な場合があるというのは、体罰を肯定するために無理矢理こじつけた議論と言うべきです。体罰が正当業務行為として違法性が阻却されるという事態は想定できないでしょう。
体罰に対する誤解5 体罰を認めないと学校の秩序は保てない
今はずいぶん収まりましたが、それでも「荒れる学校」の問題はいまだに深刻です。特に、全国の公立中学校では生徒指導が非常に難しい場合があり、小中学校では学級崩壊と言われる現象もまま見られます。
しかし、先に見たように、学校教育法11条は「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」と規定しているのであり、懲戒権の行使は認めています。教師は言うことを聞かない生徒に教室から出ていくように命じたり、廊下に立たせるなどができるのです。それでも言うことを聞かない場合はどうするか。
まず、学校教育法35条は出席停止制度を規定しています。
市町村の教育委員会は、次に掲げる行為の一又は二以上を繰り返し行う等性行不良であつて他の児童の教育に妨げがあると認める児童があるときは、その保護者に対して、児童の出席停止を命ずることができる。
一 他の児童に傷害、心身の苦痛又は財産上の損失を与える行為
二 職員に傷害又は心身の苦痛を与える行為
三 施設又は設備を損壊する行為
四 授業その他の教育活動の実施を妨げる行為
この出席停止制度により児童も教職員もかなり守ることができますが、文科省の報告を見ると今までは日数も短く、件数も少なかったと思います。もう少し活用すべきでしょう。
もちろん、義務教育である小中学校では出席停止制度は抑制的であるべきですから、登校は認め出席はさせるけれども教室には入らせない方法もあります。私が被害者を担当した事件では、中学校の中で男子生徒たちが女子生徒に強制わいせつ行為をした事件で、半年以上、加害少年を職員室隣の別室指導させた例があります(結局、加害少年全員が少年審判となり、転校させた)。
もし、生徒が手を付けられないほど暴れまくったら、最終手段として110番通報することもあり得ます。私も、10数人の生徒が校長室で暴れまくった事件で、校長が110番通報し、警察に現行犯逮捕された事件の加害少年の付添人弁護士をやったこともあります。
つまり、教師が問題生徒に自ら直接体罰を加えるようなことをしなくても、解決方法はいくらでもあるのです。

体罰に対する誤解6 体罰がないとクラブ活動は強くならない
これについては、後掲の元巨人軍の桑田真澄氏のインタビューで、橋下市長でさえ誤解を解いたようですので多くは語りませんが、同じ高校野球で言うと有名な和歌山県立箕島高校の尾藤公監督が体罰をやめてから春夏甲子園連覇を果たしたのが有名です。
だいたい、人権意識の高い欧米の強豪スポーツチームで、指導者が体罰で選手を指導している方が稀でしょう。
なお、橋下市長が感心したのは、桑田氏が
極限状態に追い詰めて成長させるために」と体罰を正当化する人がいるかもしれませんが、殴ってうまくなるなら誰もがプロ選手になれます。私は、体罰を受けなかった高校時代に一番成長しました。
と語った部分のようです。それでも、体罰はチームを強くするために役立つという信念や経験をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。
ここで大事なのは、万一、体罰が選手の技術を上げ、チームの実力や成績を上げるのに役立つ面があるとしても、体罰は絶対に許されないということです。つまり、桑田氏のインタビューで本当に押さえるべき部分は
私は、体罰は必要ないと考えています。「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。
というところなのです。体罰は、違法です。しかも、それは教師・顧問がその立場と言う権力を行使したパワハラであり、卑怯な犯罪なのです。
プロスポーツの目的は勝利第一主義ということもあるでしょうが、学校の部活の目的はあくまで教育です。その中で、コーチ・監督が犯罪である暴力を使って指導を行うことはなおさら許されないのです。
体罰に対する誤解7 体罰根絶に有効な策はない
これも大きな誤解です。
いじめ根絶は非常に複雑な問題ですが、体罰の禁止は比較的単純に解決できます。体罰は教職員が暴力をふるうか否かで一目瞭然で見分けがつきますが、いじめは生徒同士の日常のふれあいと見分けがつきにくく、加害者がいじめと意識していない場合もあり、それどころか被害者でさえいじめと意識しないことがあるからです。
さて、体罰の場合は教師が生徒に暴力を振るえば違法です。それを許される場合や必要な場合があるなどと誤魔化してきたから、話がややこしくなってきたのです。教師による暴力は生徒による暴力と同じく、違法で犯罪である。このことを徹底すればいいだけです。
具体的には、全学校内に「体罰は犯罪です」というポスターを張り、相談窓口の連絡先を明記すればよいのです。相談窓口も教育委員会や警察内に設けるともみ消しの可能性がありますから、それこそ弁護士などの専門職が担当したらいいでしょう。 スクールカウンセラーは学校からの圧力がある場合があるので、大阪市に常設の教育オンブズマンを設けるべきでしょう。
また、いま各職場や行政でセクハラの研修や相談窓口があるように、生徒たちが入学したら「先生が暴力をふるったら犯罪ですから、教育委員会か、場合によったら警察に届けましょう」と授業をしたらいいのです。保護者も同様の講義を受けることにします。セクハラより単純明快でわかりやすいのが体罰ですから、研修ならぬ授業の効果は絶大でしょう。もちろん、教職員はさらにくわしい研修を受けます。
その際、スマホの活用を生徒や保護者の方々に教えてあげてほしいですね。
ある教師による体罰が日常化していたら、それを写真に撮る、もしくは隠し録音をするためにスマホを学校に持ち込んだらいいのです。スマホの学校内への持ち込みが校則で禁止されていたとしても、教師の違法行為の証拠を押さえるためなら正当行為として許されると教えてやることです。それ以外の目的ではダメですが。
このような研修を子どもたちが受けているというだけで、教師たちはもう体罰できなくなりますよ。
それでは、教師と生徒の間の信頼関係は結べない?
いえいえ、今までも体罰をしてきたような教師はごく一握りです。彼らが見過ごされてきたのは、彼らが他の教師や生徒たちを威迫して文句を言わせなかったからです。体罰ができない学校は、生徒もほとんどの教師もこれまでよりずっと安心して過ごせる空間になります。
取調の全面可視化と同じですね。違法な取り調べがないように録音録画されていたら取調できないなんて、捜査機関の強迫観念に過ぎないのです。普通に街で暴力振るったら110番されるのはあたりまえでしょう?だからといって窮屈なんてことはありません。学校だって同じ社会なのですから、暴力が排除されるのは当たり前です。それが当然になれば、先生も生徒もかえって楽になります。

(先生は替わっても、どの番組でも生徒役の俳優さんたちがほとんどかぶってました。「ゴクセン」みたいに生徒がみんな美形なんていうあほなドラマはあのころはなかった)
結論 非暴力を貫けば事態は単純だ
今までは、戦前の軍事教練的な教育観を引きずって、暴力は一般社会でも違法なのだからまして教育現場では許されない、と言い切ってこなかったから、物事が複雑になってしまっていたのだと思います。
むしろ、一般社会と違って学校では体罰=暴力も一定程度必要だ、というようなさかさまの議論がまかり通っていました。先生だけ暴力を使っておいて、生徒には禁止しようとするから無理があったのです。
戸塚校長も発起人となっている「体罰の会」という凄まじいネーミングの会があって、そこに参加している人の何人かが、安倍政権の諮問機関に参加しています。そこに発起人として名を連ねている浅田均氏とは日本維新の会政調会長ではないかという話もあります。
どうも安倍政権と言い、橋下維新の会と言い、軍隊を肯定することと、体罰=暴力を肯定することは分かちがたく必然的に結び付いているようです。そういう意味でも、体罰は戦前の亡霊だということをはっきりさせておきたいと思います。
参考記事
尊敬する大先輩弁護士の澤藤統一郎の憲法日記から
三浦梅園の体罰「肯定」論
こちらの記事のコメント欄には教職経験者の方々の読み応えのあるコメントをいただいています。
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【岡雄一郎】体罰問題について、元プロ野球投手の桑田真澄さん(44)が朝日新聞の取材に応じ、「体罰は不要」と訴えた。殴られた経験を踏まえ、「子どもの自立を妨げ、成長の芽を摘みかねない」と指摘した。
私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。小学3年で6年のチームに入り、中学では1年でエースだったので、上級生のやっかみもあったと思います。殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。今でも思い出したくない記憶です。
早大大学院にいた2009年、論文執筆のため、プロ野球選手と東京六大学の野球部員の計約550人にアンケートをしました。
体罰について尋ねると、「指導者から受けた」は中学で45%、高校で46%。「先輩から受けた」は中学36%、高校51%でした。「意外に少ないな」と思いました。
ところが、アンケートでは「体罰は必要」「ときとして必要」との回答が83%にのぼりました。「あの指導のおかげで成功した」との思いからかもしれません。でも、肯定派の人に聞きたいのです。指導者や先輩の暴力で、失明したり大けがをしたりして選手生命を失うかもしれない。それでもいいのか、と。
私は、体罰は必要ないと考えています。「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。スポーツ界にとって大きな損失です。
指導者が怠けている証拠でもあります。暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法。昔はそれが正しいと思われていました。で も、例えば、野球で三振した子を殴って叱ると、次の打席はどうすると思いますか? 何とかしてバットにボールを当てようと、スイングが縮こまります。それ では、正しい打撃を覚えられません。「タイミングが合ってないよ。どうすればいいか、次の打席まで他の選手のプレーを見て勉強してごらん」。そんなきっか けを与えてやるのが、本当の指導です。
今はコミュニケーションを大事にした新たな指導法が研究され、多くの本で紹介もされています。子どもが10人いれば、10通りの指導法があっていい。 「この子にはどういう声かけをしたら、伸びるか」。時間はかかるかもしれないけど、そう考えた教え方が技術を伸ばせるんです。
「練習中に水を飲むとバテる」と信じられていたので、私はPL学園時代、先輩たちに隠れて便器の水を飲み、渇きをしのいだことがあります。手洗い所の蛇口は針金で縛られていましたから。でも今、適度な水分補給は常識です。スポーツ医学も、道具も、戦術も進化し、指導者だけが立ち遅れていると感じます。
体罰を受けた子は、「何をしたら殴られないで済むだろう」という後ろ向きな思考に陥ります。それでは子どもの自立心が育たず、指示されたことしかやらない。自分でプレーの判断ができず、よい選手にはなれません。そして、日常生活でも、スポーツで養うべき判断力や精神力を生かせないでしょう。
「極限状態に追い詰めて成長させるために」と体罰を正当化する人がいるかもしれませんが、殴ってうまくなるなら誰もがプロ選手になれます。私は、体罰を受けなかった高校時代に一番成長しました。「愛情の表れなら殴ってもよい」と言う人もいますが、私自身は体罰に愛を感じたことは一度もありません。伝わるかどうか分からない暴力より、指導者が教養を積んで伝えた方が確実です。
日本のスポーツ指導者は、指導に情熱を傾けすぎた結果、体罰に及ぶ場合が多いように感じます。私も小学生から勝負の世界を経験してきましたし、今も中学生に野球を教えていますから、勝利にこだわる気持ちは分かります。しかし、アマチュアスポーツにおいて、「服従」で師弟が結びつく時代は終わりました。今回の残念な問題が、日本のスポーツ界が変わる契機になってほしいと思います。
◇
大阪府出身。PL学園高校時代に甲子園で計20勝を記録。プロ野球・巨人では通算173勝。米大リーグに移り、2008年に現役を引退した。09年4月から1年間、早稲田大大学院スポーツ科学研究科で学ぶ。現在はスポーツ報知評論家。今月、東京大野球部の特別コーチにも就任。著書に「野球を学問する」(共著)など。
大阪市立桜宮(さくらのみや)高校バスケットボール部主将の2年男子生徒(17)が顧問の男性教諭(47)の体罰を受けた翌日に自殺した問題で、 橋下徹大阪市長は12日午後、生徒の遺族宅を訪れ謝罪した。橋下市長はこれまで学校での体罰に関し「口で言って聞かなければ手を出すときもある」などと発 言してきたが、両親と兄との2時間以上の面会後、「自分の認識は甘すぎた」「この気持ちを保護者の皆さんに伝えることが僕の役割」と述べた。
橋下市長は2時間20分にわたり遺族と面会。「学校、市教委、市に百%責任がある」と謝罪し、遺族の了解を得て生徒の遺書を読んだという。面会 後、取材に応じた市長は「本人はもうつらいですよ。あそこまで追い込まれてね、あの年代で人生を終わりにする。最後の言葉をつづる姿を想像するだけでたえ られない」と涙ぐんだ。
学生時代はラグビー部員だった橋下市長はこれまで、「スポーツの指導で頭をたたかれたり、尻を蹴られることは普通にあると思っていた」。だが自殺 に至る経緯を両親から聞き、認識が甘かったと気づいたという。「顧問と生徒は絶対的な上下関係。周りの教員も、保護者も、生徒も何も言えない。そういう状 況の中で厳しい指導を認めると、こういうことになってしまう。むしろ厳格に暴力は排除しなければいけない。そこに思いを至らすことが不十分だった」
また生徒の自殺後、学校が行った生徒や保護者のアンケートに「もう一度バスケをしたい」「この顧問の指導を受けたい」という言葉が並んでいたこと にもふれ、「部活に熱い思いを持っている在校生や保護者にも言いたい」と呼びかけた。「これは異常な世界。僕自身そうだったが、勝つためには厳しい指導が 必要という意識を変えないと。保護者や大人の意識を本当に改めないといけない。僕もその保護者の一人だった」「意識改革を徹底してやっていく」と話した。
また朝日新聞が12日朝刊社会面に掲載した元プロ野球投手の桑田真澄さんのインタビュー記事を踏まえ、「あそこまで極めた方が、暴力はスポーツの能力は伸ばさないと言っている。反論できる人はいない」とも話した。
一方、スポーツ以外の教育現場に関しては「ギリギリの状況で手を上げねばならない状況だってあるかもしれない。歯止めがきくようにルール化したい」とも述べた。
文科相、体罰の全国調査へ…義家政務官が大阪に
大阪市立桜宮高校の2年男子生徒が体罰を受けた翌日に自殺した問題で、下村文部科学相は11日の閣議後の記者会見で、全国の都道府県教育委員会に対し、体罰の実態調査を指示する方針を明らかにした。
具体的な調査方法は各教委に委ね、結果を国に報告してもらう。児童生徒を対象にした調査の必要性については、「調査結果を見て、不十分であれば改めて聞きたい」と述べた。
また、義家弘介政務官を15日に大阪市教委に派遣し、学校の対応や体罰の実態などについての調査を求める方針も示した。

