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こちらではお初にお目にかかります。弁護士・元ロースクール教授、宮武嶺の社会派リベラルブログです。

ホームレス生活再建相談


 今日は武庫川(六甲山から流れ出し、瀬戸内海にそそぐ、尼崎市と西宮市を分ける二級河川)の川べりを、往復10キロ以上歩いた。

 弁護士、社会福祉士、ボランティア等数十名が、武庫川下流域の河辺で野宿生活をしている方への生活再建相談会を企画したのに一家で参加したのだ。

 河辺には100人単位の路上生活者がいらっしゃるのだが、武庫大橋の袂に設置した本部に相談にこられた方は8名ほどだったらしい。

 私が来週、市役所に一緒に行って生活保護申請をすることになったSさんも、我々のチラシを持っていたが、「どうせ冷たくあしらわれるだけ」と思って、行かなかったのだそうだ。

 タクシー会社の寮に入っていたが会社が倒産。職場も住居も失った上、尿管結石で血尿が出ているらしい。なにもかもはやくしないと。

 Sさんにアンケートの書式に従って、所持金を聞いたら、ほぼゼロ円。手土産にカップラーメン2つとホッカイロをもっていったのだが、火曜日まで食うものもたへんがな。
 とにかく、火曜日は私が車で近所まで来て、Sさんを乗せて市役所に乗り込むことになった。

 というわけで、本部で机を河辺に並べていても余り意味がないので、武庫川の尼崎側と西宮側、さらに上流と下流に分かれて、どんどん、押しかけ相談にでかけるという企画なわけだ。

 10人一組くらいでまわったのだが、私が途中でTさんという老人と話し込んでしまったので他の人に先に行ってもらったりして、みなとはぐれてしまった。
 結局、私は、今日はSさんとTさんしか、お話できなかった。天気が良くて外出しておられる方が多かったということもある。

 Tさんによると善意の人でも自分のテントに人が訪ねてくると心臓が締め付けられるくらい、どきっとするらしい。いろいろ悪さをされた路上生活者の話は伝わってもいるから。

 Tさんは、もう早く死にたいけど、子供のころから魚を一杯食べて育って元気なものだから、今となっては死ぬに死ねないのが恨めしいとのこと。

 私が、生活保護申請をして、アパートを探して、今度のお正月は屋根の下で暮らしましょうよ、と、あの手この手で篭絡せんとするのだが、がんとして市役所に行くといってくれない。この世で許せないのは行政と社会保険事務所と市役所、とおっしゃっていたから、よほどいやな目にあったのだろう。いくら弁護士が一緒に行けば無礼な口をきかせることはないといっても安心してくれない。

 また、生活保護費をいただくということは、みなさんの税金からいただくということやろ、そんなことでけへんがな、とおっしゃる。Tさんだって体が動いて働いていた頃は税金払ってたんだから生活保護を受けるのは権利じゃないですか、というのだが、首を縦に振ってくれない。

 それで説得はいったんやめて、Tさんの人生の話をじっくり聞くことにした。
 舞鶴港から出征したという父。おなかの中にはすでにTさんがいたのだが、これから戦場に行く兵士に後ろ髪引かれるようなことを言わないのが当時の常識だったそうだ。
 4年後、帰ってきて自分の知らないわが子が生まれていたことに疑惑を持つ父。それからというもの、父に虐待を受け続け、中学のときに家出して・・・タクシーの運転免許を取り・・・結婚して子どもができて・・・後から追突されて出た保険金を会社の経理に持ち逃げされ・・・・・

 話をしている最中に、二人とも体が冷えて、武庫川へ向かって連れション。

 また、テントに戻ってきて話をしはじめてしばらくして、Tさん、
「あんたみたいな、きさくな弁護士さんもいるんやなあ」
「いやいや、僕はしつこくて粘っこい弁護士として有名なんだやから(大嘘)、ぜったいにまた来るよ~市役所一緒に行くよ~」
「ワシの人生をパソコンで書いたのが社長のところにあると思うからDVDかなんかに焼いて、あんたの事務所に送るわ(自分でパソコン組み立てるくらいのマニアだったらしい)。誰かに読んでほしかってん」
「読んだらまた来るよ~~長居して御免ねえ」
「いや、1時間でも2時間でも、人と話したいがな」

 長年、ほんまにおかしいと思っていた、ホームレスの方々の放置行政。

 私も指一本動かすことなく、弁護士生活を送ってきたが、やっとささやかな貢献ができそうだ。

 ホームレスのSさんやTさんにアパート一緒に見つけるところまで行ったら、少年事件と同じくらい、はまってしまいそうだ。 

 本部でボランティアでがんばりつづけ、体が芯まで冷えたたイエティと未来。
 3人で、帰りは天下一品のラーメンを食べて帰ってきた。